箱館会議 前以ての確認 1
田村愛姫へ
少しずつ、少しずつ、運気が上向いているのかしら?
今はグループ活動で、先ずは本の「売り上げランキング1位」と「顧客リスト」の獲得で、切っ掛けを掴みましょうという動画を見ております。アフィリエイトで行っていた手法を、Kindleでもやっておりますということですね。やっと最後のカードゲームに到達したかな?と、思っております。昔、私は、切っ掛けさえ掴めば、病気は治っていくのだと、説明しておりましたが、やっとそんな時がやってきたかな?と、思っております。
そうかあ。グループ営業か…。私は昔、営業の仕事をしていて、自爆営業は禁止という世界に生きていたから、グループ購買という物に、理解が無かったのです。
多分私は純文学、文芸という世界にいるので、このグループ活動でのランキング1位は、安易だと思うのです。他の人にも安易な案件の筈。何となくこの世界を潜って行くと、先に進めるかも…。これからはグループ活動で、購買活動を刺激しながら、あらゆる商品の購買にも、活用していくのが良いのかな?
私の場合、表紙のデザインとタイトルが地味なのがいけないのです。販売戦略が間違っていたのでありましょう。
Kindleで上手く行ったら、KOBOでも行いたいと思っております。
今度の私の本のタイトルは、「健全な夜の街 おびひろ」にしようかしら?
または、バイオガスプラントのドキュメンタリを書こうかしら?
そうか。買わなきゃ、買って貰えないのだね。世の中の仕組みが少しだけ分かりました。電子本だから、紙の本で本棚が溢れかえることもないし、読書不足も却って解消されるかもしれない。そうしたら、また文学に良い影響がでるかもしれない。
「人に良くしたら、結局は自分にも戻ってくるものだ」という、商売感覚が私には無かったのですね。それには時間が掛かるのでしょうが、待ちきれない場合もあったりします。私は精神科に通い、生活保護ですから、リターンが待ちきれなく感じる時もあります。本当に心底頭にくることもあるのです。でもね、怒らないで正解だったのでしょうね?
これから女性の社会進出が、人口の半分に出現するわけで、私は「仕事を生み出せれば、という創造万能論者」だったのですね。それ以外の感覚を持っていなかった。
そうか、購買グループに参加するのが重要だったのですね。内需論ではそうなっているのかもしれません。結局、購買層に籍を持つことが、這い上がりのコツなのでしょうね? やっと商業の一歩前に立てた気がしました。
私の頭の中は、「学」で整理がつかないと、そこで諦めているのですね。
今回は何事も怒らないで、で頑張っておりますよ。それが神様の私に課したミッションなのでありましょう。(アンゴルモアの大王?ですかね?)これで、また自分の強さにそれがなったら、結局は、また神様のバウ・ミャウになるわけですが、私はそういう世界観に、気位を持っていたってしょうがないなと感じ始めております。何事も、怒らない、怒らない、と商魂を思って頑張って行きますよ。
「労務家畜、乳家畜、(肉家畜)、糞家畜と来たわけで、あとは天寿熟成肉家畜。そして肉と骨と革と毛。」という概念を完成させれば、世の中での私の働きかけが、実る訳で…。そうやって家畜を飼ったら、彼女たちは、どう感じるでしょうかね? 少なくとも、利益構造がまた変わる訳で、ここに商圏を新しく思いつく人が、またもや勝つ世の中になったのですね。「十勝の家畜」というドキュメンタリを書こうかしら?そこにグループマーケティングが成立したらどうなるかしらね?
とにかく、「怒らない」という、粘り腰が必要だということを、私は初めて学習しましたよ。少しずつ愚痴を洩らして、気分をリラックスさせることが大切なのかな?「神様と待つということが、食うことに繋がるのだ」と、知ってはいたが、今がその集大成なのだと、自分に言い聞かせて、頑張って行こうと思っております。この方程式に、「豚」はさらに難しかった。でも、乗り越えられそうです。
あとは、本物の「禅」に帰る事かな?
来世以降も家畜肉に関して考えているのでしょうか?
このトライは「栄(は)え」に繋がるかしら? 植漁工と精密機械が北海道にやってきて、環境悪が無ければ、ひょっとしたら、十勝は天国に暮らしている感覚になるかもしれません。日本中が真似るかも? いや、世界中が変るかも?
今日は勉強後、単行本作りを行います。それに「片道書簡」という、三川が真理さんに送ってきた、「真面なメール」の研究用書籍化を始めようかな? やはり忙しいです。打ち込んできた、文字数が半端でないので…。
使いモノにならないのは、固めて保管しておきます。(笑)
徳川家のお姫様でしょうかね? 徳川レモンというペンネームで、出版されておりましたよ。私の方法が上手く行ったら、教えてあげようかしら?
きっと私は老人でいて、年金を少額頂いて、あとは印税暮らしというのが、理想的なのかな?
戦国時代。徳川家康爺と伊達政宗を結んだのは、田村愛姫だったのかもね。「お顔が似ているのです。徳川家康様と伊達輝宗お父様のお顔が似ているのです」という、密書から、豊臣家滅亡まで、私は愛姫の後ろで、徳川爺と話せていたのかもしれません。私は元から知っていたのですけれどもね。最後の的撃ちで、私の出陣は完了してしまった。勿論私は、最初から最後まで、城攻めの最前線にいたのですが…。結局、この世もお世話になったのでしょうか? 半三お父様は、討ち死にでしょうかね? 私の父も両祖父も、討ち死にでした。私が分からなければいけないのでしょうね?
さて、徳川宗家は、どう動くでしょうかね? 世間は皇居跡地を睨んで、徳川ランド、徳川遊園地と言って渋い顔をしておりましたが…。TVの前のコメンテーターでしたが。(笑)
私は飽くまでも、徳川三代の家臣なのです。小説家で残す名前であるべきですね。
そろそろ、民主主義世界に帰還しましょうか? 鳩さん、ちょっと問題が有りなのであろうから、避けて欲しいが…。倭系の統領は、徳川宗家ですよね? その確認を、どうとりましょうか? 何か、井伊様もボロボロみたいですしね? 結局、現皇室が「我は、万世一系なり」と居直ってしまったら、先の世は、頭の軽い革命家の時代になってしまう。難しいところです。井伊様が、ボロボロでなかったら、私は小説家というだけでいられるのですけれどもね。結局、朝鮮半島渡りの刺客が結構動くので…。その人たちは日本人火病説論者みたいで…。私も、何を言っているのだ?状態で、考え込んでおりましたが。ジェラシーって、そんなにあてになりますかね? 私は、少年時代の身体で、ジェラシーは終わってしまったから…。結局、他所の朝鮮火病に見舞われてからの幽閉ですからね…。その間に政治力を無くしてしまいました。苦笑
徳川家が、そろりそろりと、纏まりだすのを待っているのです。伊達宗家は、噂によると遺伝子が合わないのですってね? まあ、青葉城も動く気配なしで、私は先の世にあっさりと進んでいきますよ。
私は今、学ばなければいけませんが、どうも小説の話で動けそうですので、伊達宗家を片目で睨んでいるのですよ。
結局、士族家と師範学校組は、相性が悪いのですよ。でもね。禁断の病の人が多いのも実際で…。卒業できなかったのは、私も含めて当然かな?と思っております。
最上家が何かを言ってくるのかなと思ったら、幻覚をチョシテ遊んでいるみたいだし…。歴史上では、「お人形様」と呼ばれた人物が、今の伊達家宗家ですね。そこまでは、どう考えてもで、揺るぎない私の視たところなのですね。そこまでは、分かっているのです。三河万歳の宗家ですね。だから、私は何も言いませんが、多分、最上家の再興は無理かもしれませんね。それは物理時間の所為です。他の誰もの所為ではありません。
真理さん。これが近距離地政学地図です。あっさりと判断して済ましてしまうよりも、「函館会議」成立後、ふるさと納税で柔らかく繋がっている方が良いです。でも、渡邉家と徳川宗家と伊達宗家で、何の繋がりが生じるでしょうか? 結局、御三家御三卿に、先ずは私が会いに行けないといけないわけです。
困ったなあ、と思っていて、この度「函館会議」に関して書簡したのですね。先ずは、何故、私がお尋ね者なのかが良く分かりませんが…。この未確認部分に、デイブ・スペクターがウロツイテいるのです。「何故? 仲良くできないの?」と、彼は、もう言わないわけで…。時期に彼は、鳩さん状態になりますよ。(笑)
そこも時間カットビで、可笑しいなあ、と思っているのです。結局、間・間に割り込んで、居座っている奴らがいるわけなのです。元々の要割礼のスパイたちでしょうか。
要は「火病」者が、間に挟まって固まっているのですよ。
それは避けても、避けても、またそこに居続けるので…。
2階の家の関連の人たちを興信所で調べれば分かるので、何処の警察に卸すか考えているのですが…。おそらく、突き抜けて海外に話は行ってしまうのかな?
でも、ほぼ全て半島人なのです?
と言う訳で、真理さんは真理さんの会社で、人事権を発動するべきなのかもしれません。「大人の身体で、しかも男性で、ジェラシーというのはあり得ない。それは明らかに発達障害系の火病痕です。純粋に犯罪者家系です。」「最近ジェラシーを隠さずに、曝け出すようになってから、恥ずかしさの感覚がマヒをしてしまっているのです。それが恥ずかしいと感じるうちに、治してしまわないと」、で…。
「三川も柔道をやる前までは、苦戦したのですよ。自分のジェラシーに…。」
「だから気持ちは分かりますよ。」
「増えるテステステロン量ですね。」
もう、治らない55歳は、これからの一生のお付き合いなのでしょうが…。
だから、柔道、合気道、剣道、長刀などは、倭人ならば行うべきです。
私は、これは男子ならば分かって貰えると、思っているのです。
「固まる前には、自分で道場に行け」の話です。
きっと、これからの時代、武道歴がないと、社内がジェラシーで埋まってしまう、と判断する経営者が増えるかもしれない。2年間の心肺機能訓練と胸腺裏免疫処を鍛えまくることで、一生脳味噌は楽になるのですよ。ジェラシーに悩まされないというのが、人間性の問題で、どれほど人類にとってプラスなのかは、明白でありましょう?
結局は、「出世する学徒に、武道有り」になると思う。
まあ、我々は55歳を生きるべきです。組織暴力団系伊達政宗もそうだと思う。これは15歳の「武道持ち」、と言うのでしょうか。
私は徴兵制度をやるくらいなら、徴武道家制度を行って、刀狩にもチャンとしていられるべきだと思う。
では、またね。
愛しております。