セブンズ ヘブン!

田村愛姫へ

 

Where The Streets Have No Name (Remastered)

https://youtu.be/WfunypXsBO4

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年の瀬ですよね。何か今年も、一気に終わってしまいそうだな。今年の真理さんは儲かりましたか? 何かの政治の進展が起こりましたか?

私の今年は、ネタ起こしで殆ど終わってしまいました。そういう時は、精神的にも辛かったりします。やはりレイプ犯とLGBTqと児童性愛は、同じ遺伝子の異常から発生する病気で、あとは僅かな表現型の違いなだけだという、仮説を持つにいたりました。それが正しいかどうかは刑務所内の遺伝子地図把握作業が、重要さを持つわけで、刑務所受刑者の遺伝子調査に関する問題を法制化する準備が必要だというのが、分かった一年でありました。

一般的な病院での遺伝子把握調査では、遺伝子調査の意味が大雑把で、法定資料などの重要な問題の解決の糸口なるとか、そういう利用の仕方ができません。あまり臨床が進まなかった一年だったような気がします。

三川の内面闘争に明け暮れた一年でした。しかし政治的には、悪は後退した1年だったような気がします。

私の幻覚幻聴視に関する問題点は、この幻覚幻聴に関する問題が、あの世の人間の遺伝子とどう関係があるか? この世の人間とどう関連があるか? 三川では解決することが出来なかったというのが、実際の問題点でありました。確かに幻覚幻聴内で見ている物は、量子3Dアニメーションで、切迫感があったりします。そこの登場人物は、現実の人ではないことが実際であり、幻覚幻聴操作操縦など、重要な時点との関連性の前に立っただけであり、事件性認識の面前に立っただけだったというのが、本当のところでありました。しかし、この段階だというだけで、刑事犯罪者や政治家の隠された事件性が顕在化してきたわけで、かなりの自白に繋がった事件があったように感じております。

倭人は幻覚幻聴から逃げ回るが、朝鮮半島人は幻覚幻聴に向かっていく、性向があることが分かってきました。しかしこの向かって行くタイプの患者さんは、骨粗鬆症患者と同じ、病理頻度であることが、仮説化されました。やはり刑務所での遺伝子把握調査が必要な案件だったと感じております。要は、遺伝子検査は、医療機関と刑務所と、この2元把握が重要な意味を持つのだなと、私は判断するに至りました。精神医学としては、かなり幻覚幻聴操作操縦装置という物の実在の確認が必要で、そこに、政治の権力問題が生じるのも分かってきました。観念の連動性の把握から、恫喝者と統合失調病患者、精神医学的基礎栄養素疾患という病名の患者と、時間的に関連性を持つのではないかということが、浮き彫りになった一年でした。組織暴力団と恫喝者と知的知能指数障害者との、観念の共有があるか?ここの追跡調査法を開発しなければいけない。シナリオライターという人物の病との関連が、疑われるのが、マスコミの社会適応との関連で、浮き彫りになった一年でありました。この段階で、実犯罪に関して確認を必要とする遺伝子(LGBTq遺伝子)の把握が重要だという、認識に立つ人が増えたような気がします。この遺伝子調査が、遺伝子地図上の把握が終了し、刑務所受刑者の遺伝子地図との整合性が得られて、初めて立憲が可能なのでありましょうが、その前に自白型切迫症で、あっという間に事件関連が顕在化した一年でもありました。つまりこれらは、かなりの人が、同じ幻覚幻聴のストーリーを共有する可能性が確認され、どうやらそこには、ユダヤ核とアーリア核が存在することが予想される時点にたちました。そこにユダヤの文明とアーリアの文明との衝突が予想され、それが遺伝子把握的に有意であることが、確認される手前まで、科学のストーリーは追いついてきました。日本においては、ユダヤ核が朝鮮半島系の遺伝子上、アーリア核が大和朝廷の遺伝子上での実在が想定され、古代王朝の遺伝子把握が必要との、判断が下った一年でありました。現実での、事件性との関連性が確認され、マスコミなのでかなりの顕在化が確認された年でもありました。遺伝子の優劣を意識する血統的なもの(ユダヤ核)と、遺伝子の多様性を論じる一夫一妻体制的なもの(アーリア核)との、衝突が始まった年でもあり、先手必勝派が敗北した一年でもありました。ここでの勝敗が、ユダヤ式PCと日本式PCの優劣を決める要因であり、社会的インフラとしての構造を決定する重要な問題であると認識されました。しかしこれは単に、マイクロソフトビル・ゲイツユダヤ系、日本式PCの提案者である三川がアーリア派であったことから起こった、「遺伝子学的な行動様式の違いから派生した問題であり」、現場の技術者がそれに縛られる必然性の無い問題であると三川は認識しております。日本式のPCはデータの盗聴・傍受が不可能になる可能性を大きくはらんでおり、米国製のメモリ機構と日本製の量子メモリ機構との、技術的な考え方の違いが健在化した一年でもありました。世界各国の知財権、国防問題と直結した問題であり、スパイが暗躍した一年でもありました。恫喝タイプの人間と幻覚幻聴操作操縦との関連が、推測され、レイプや児童性愛などの性慣習の違いが、政治的に露骨になった一年であり、大人たちの態度表明が、支持勢力化しだした年でもありました。それは自由民主党などの既存の保守層と民政共和党などの政治勢力との鬩ぎ合いの始まりであり、妨害者的な人間像も浮き彫りになったりもしました。問題点の把握がかなり必要な人物も確認されており、精神異常などの問題点の発覚も起こりました。精神医療の現場が、割れた年でもありました。ユダヤ核精神異常者とアーリア核精神異常者と、病理的世界の違いが発生しました。ユダヤ核の敗北が、確定的になった一年でもありました。

ホモとヘテロの、人類進化論上の屈折点が確認され、デジャヴなどの内容確認が、病理的におよび社会顕在化論との把握の方法を、生み出さなければいけないとの認識が成立しました。実際の医療事故との整合性も確認された一年であり、当事者の人間性の違いが確認された一年でした。ユダヤ核がかなり犯罪者の巣窟になっていた現状が認識され、アーリア核の政治的立場が派生したのも確認されました。先ずは、両者の原罪認識など、善悪の倫理観の違いが浮き彫りにもなりました。その世界での、日本の独自性と認識必然性が、表出しだした一年でありました。前者は悪が必要と認識しており、後者は創造社会の方の優先権があるとの主張でありました。世界の人類の選択肢が、発生した時代でもありました。朝鮮半島人と倭人の対立が、表出化しました。そのまま神学論争化した一年でありました。

これらの事柄の政治的な立場の表明は、国防上の観点の変更を意味するものであり、政治対立を孕む、時代に突入しました。朝鮮半島人と倭人の価値観の相違とも連動を始めており、ユダヤ式は既存勢力、アーリア式は新勢力として、政治地図上に顕在化組織化され始めました。倫理社会学に、それぞれ論客が成立しました。

 

このアーリア式政党は、現在マス・メディアなどが、この勢力に対する妨害勢力として機能しており、天皇制の認識との違いとしての問題も噴出しました。国家元首論と連動を開始した年でもありました。政治拠点化が開始されており、三川はアーリアの人間であることが、確認が取れております。神学論争でもあり、中身の軽薄短小さが、政治結果として評価されるであろうことが、当然視され始めております。人類進化論との連動も先見され、儒教ユダヤ教キリスト教イスラム教、ヒンドゥ教、密教神道との、連動性も始まっております。人を殺めれば解決する問題でもなく、それぞれの「学」認識が決定的な結果の違いを産むであろうことが予想されております。この違いを無視して、戦闘を継続できる条件ではなくなりつつあり、それぞれの宗教指導者の認識が問われることとなりました。孔子、キリスト、達磨、阿弥陀、神武はアーリア式の人。ユダヤ教は、ユダヤ式の人。その他として、宗教関係者の苦悩が開始され始めました。女性論の立場での連動も開始され、渡邉真理などの考え方も始まりました。争点化の一つとして、「遺伝子組み換え論」と「LGBTq」などの、精神と遺伝子の関連が争点化する可能性が出てきました。障碍者福祉論も連関をしはじめ、単純な「善悪論」「転生観」「性機能論」では限界を迎えるであろうことが、三川の立場の現状を意味しております。「戦争論」とも思想化され、組織暴力が急速に露骨に機能しだしました。日本では、「帝政右翼論」と「民政右翼共和党論」との、立場の違いも、確認され始めております。徳川以前と維新後の政治体制の違いも確認され始め、江戸時代がかなり進歩的な市場論であったことが観点として浮上しております。色々な観点を、三川が健在化、それぞれに安全地帯を築き始めている現状でありました。食料自給論など、知財権技術との連動も確認され始め、日本はどうやら、新アーリア論の旗手に位置する可能性もあります。死ねば、殺せば、解決する問題では、はなからなかった。明治維新後政治の評価にも関連しており、これからの日本人の政治的立場の自由が考慮されるべき時代に突入しました。心の問題でもあり、精神科医の麻痺が、現実社会に暗い影を落としております。結局は、ユダヤ核の信奉者であった維新政治は、後退していっているのが、現状であります。マス・メディアの立場の悪用が、かなり表面化しておりますが、それを正すべきメディア人格は、形成されておりません。この問題は、フェミニズム問題とも関係性を持っており、世界は日本の動向が気になる現状でありました。アニメ産業界、芸術芸能人が、ハニートラップされてしまい、現状では骨抜きの状態であり、それを視ている、現代人の感覚の刷新が望まれる時代でもあります。死ねば解決するという問題では、はなから無い訳で…。悪徳政治家追放劇も始まっております。一体だれが、政治を骨抜きにしたのか? 既存の政治家を、じーっと観察している、日本の国民でありました。割礼問題の認識も始まっております。骨抜き政治土台では、原住民が弱くなる。アイヌ琉球倭人などの政治勢力化を、正しく機能させる問題認識の持ち方も、議論が始まるでしょう。金融機会の公平が、おそらく貧困層の克服になることは、おそらく財を成した「民政共和党」が、勢力を伸ばしており提案を始めており、革命を牽制しながら、政治は進んでおります。新量子PCの成立が国防論とも関連があり、その分野で、先進している日本の立場を世界のマスコミが報道を開始しております。日本のマス・メディアが一番遅れているという、認識が始まっている現状に、国民は焦りさえ感じているのでありましょう。正すべきところは正す姿勢が重要であります。上皇天皇など、明治維新政府が、政治的・身体的失敗をきちんと認識なされ、国民に謝罪することも必要になるかもしれません。新勢力が、きちんと、地方での政治権力化がなされるのを待っておりますが、どうも自称新勢力者の「民政共和党」が、政治思想的に、どうも歴史認識に甘く、進歩的な、しかし現代では当たり前な三川を認めない風潮にあるようです。かなり問題を孕んでいる現状であります。

 

日本の政治は2元化しつつあります。ユダヤを取るか、アーリアを取るかですが、日本人にはその意識がまだ、芽生えておりません。マス・メディアが、殺し役を降りる時が来たわけで、その代りの勢力が、マス・メディアによって提出されるのを待っている、インテリゲンチャの状態であります。殺し屋家業を辞めた段階でのマス・メディアが、自然呼吸として正しい。その政治問題の認識が、政治家化した女性政治家たちによって、確立されていく状態を、日本フェニミズムとして観察している三川でありました。殺し屋を辞めるか、政治家を辞めるか、考え方の整理期間が始まりました。

 

これは、電子図書化されるのが、正しいのかもしれません。

人類は日本を考えている。野生も正しさを見つめている。日本が、正しい生理と健康を開始するときがきました。

 

日本人は安易に政治にクーデターを演じてはいけない。

論文化を待っております。阿弥陀は安易に新宗教を否定したりはしません。阿弥陀リトマス試験紙です。

 

では、またね。