メリー クリスマス!

田村愛姫へ

 

定番クリスマスソング☆メドレー♪ジャズアレンジバージョン♪

https://youtu.be/a-yNvQrLIH4

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 葛根酒は冬の喉の渇きに良いです。アルコール依存症の薬にもなり、血糖値の薬でもあります。

 当面私の目標は、クコの実酒で肝臓を労わることであり、肝機能が回復したら、凄く健やかに暮らせるようになると思っております。ココア酒は明らかに脳に良いものです。

 骨粗鬆症予防薬として、みかん酒があるようです。

 

 今年は刑事甘露王ネタが随分、拾えたような気がします。悪のサンプリングをかなり書いて、保存することが出来ました。

 地球緑化に対する仮説も打ち立てることが出来ました。

 

 まだまだ永くこの地球、惑星マリアという神様に仕えていきたいと思っております。神様が禿げ上がらないように、ガンガン働いていこうと思っております。

 

 「森豚と草豚」という童話を残そうかしら? 素直に「家畜の楽園」という作品も良いかも…。ムツゴロウさんは、どうしているでしょうかね? もう、懐かしさしか、思いませんが…。

 

 

 ところで、例えば、帯広のような地方都市には、「とかち省証券市場」という小さなSOHO株売買専門の帯広商工会議所運営のインフラ会社があったら良いかもしれないと思っているのです。株式を「金の斧」、SOHO株式を「銀の斧」と置いて、SOHO株は、原則として知財権所有がセットされることが条件で運営されたら良いかも。倒産時負債を軽くできますし、会社という単位を汲まなく使い切ることが出来るようになると思います。その場合、シリコンバレーのように、都市機能がベンチャーで集約される必然は無く、市場はWeb内市場での売買がメインになって行えば良いのではないかと考えます。SOHO株は札証アンビシャス上場を目指すべきであり、SOHO株と一般株式の転換も可能にするべきですよね。市場モニターとしてのLANDも利用されると良いかもしれない。

 

 

 

スピッツ / 渚

https://youtu.be/B7T4NNNWeHg

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 じーっと、熊の通り道に関して考えておりまして。私の中では、十勝平野の十勝盆地化が良いのではないかと思っております。南十勝に、森林帯を形成して、日高山脈と浦幌白糠丘陵地帯を繋いでしまったら良いのではないかと思うのです。廃棄農地を北海道が買い取り、植林するという手順で、帯広の森級の幅の森林帯から始めれば良いのではないでしょうか? 川縁を繋ぐようにして、造林して、通り道を確保する。熊の遺伝的多様性をさらに強化する。すると何か良いことがあるかもしれません。カラスも、スズメも、モグラも益獣でしたしね。ひょっとしたら、熊も、内地の猪も益獣かもしれませんよ? まあ「人の視点」次第かもしれませんが…。

 ディスポーザーがいきわたったら、実は人に害獣と思われている熊は、人里を諦めた後に、何かの変化をするかもしれません。具体的にはまだ、発見されておりませんが…。蜂巣を同時に置くと、どんな変化があるでしょうか? それとは別に外来帰化種を、食べるようになるかもしれませんよ。そうしたら、やはり人類にとっては益獣と言えるのかもしれません。そう考えると、害獣とされていた生き物たちは、人の食残渣を餌にしだしたから、人は害獣と判断したわけであり、実は、生ごみを綺麗に出さぬようになったら、ひょっとしたら益獣としての効能が強調されて出てくるようになるかもしれません。やはり人獣共存の決め手は、ディスポーザー・システムなのかもしれません。人が生ごみという、自然界の掟破りをしたから、悪さを思いついたのかもしれません。

 

 そう考えると、クジラも人に言葉を使って話しかけているし、熊も同じだったのかもしれません。ボディー・ラングエッジですね。やはり無音思考が発達をしていて、その領域からの言葉を使う生き物は、知能指数が高いのかもしれません。旧脳領域の再現性が物凄く良い生き物が、思い出しに強いのかもしれません。

 

 で、熊たちは、その領域で、生物共存ルールを定めて、学習をして生きているのかもしれません。彼らは、三川が地歴的にどの年代の人か?理解しているのかもしれない。三川が他の生き物の生活を理解する力が強いのが、分かるのかもしれませんね。サイヤ人というのを覚えたのかもしれません。

 

 私は十勝平野としての土地利用ではなく、十勝盆地で行けばよいのではないかと思っております。地図で見るから、大袈裟な話に見えるのではないでしょうか? やはり歴舟川道道365号線のグリーンベルト化が有効ではないでしょうか?

 

 

 真理さんたちは、廃棄物処理業者の人と、ウォーリー製作特許化委員会を作らなければいけないかも。私は、手元にお金がないから、できませんが…。まあ、とかち財団も、作るものがウォーリーなら、お金を出すかもしれない。そろそろ職業としての被差別者は、居なくなるのかもしれませんね? 生ごみの処理が仕事で無くなったら、上工程に職業代えをした方が良いですよね。まあ、発明業としての総業形態へ移行するのでしょうが、旧被差別産業の技術の特許化は、やはり目指すべきで、そこでしっかりと教科書化できることが、科学前提を整えることだと思います。そこから、社会壁を壊す努力をしたら良いと思います。東京ではもう、始まっております。北海道や現代日本人では、被差別や部落という言葉さえなく、アイヌ民族自体知らない子も多いです。このまま行きたいのかもしれませんよね。そういう人もいるかもしれません。でもね、アイヌの祖がそれを許すかは?知らないですよ。基本的に祖は遺伝子オリジナルですからね。その人物が逃げたら、話はもう戻らないかもしれませんが…。子孫が悪いことを行ったになった時点で、祖先たちは立場が悪くなるのも実際かな? モテる領域が減っていくから…。そんな因果が法則としてあるのかもしれません。少数民族少数民族である理由は、ちゃんとあるのかもしれません。意外と因果応報は当たっているのかも…。三川も苦しかったですからね、この世は…。

 どうも悪さの素が、真理さんに感じていたのも、感覚として不思議なことではあり、三川はそれに対応できませんでした。渡邉家の盗癖の復活でしょうか? きっと直ぐに遺伝子の病気だらけの自分に戻ってしまいますよ。

 

 何かね、三川が真理さんにアニマルズのことを教えるたびに、アニマルズの行動様式がそのまま変わるのだよね。その法則を、綺麗にトレースするのが、三川の獣医学だから、再現性の素が獣医学なのだよね。すると繰り返しの時に、真理さんにラッキーが転がっているのだよね。アニマルズの管理下に、渡邉家はあるのかもしれないですよね。神と人間の家畜化と、三川を監視しているのかもしれません。三川は生き物の子供の「顔」が好きな、オリジナルかもね。最近、目を逸らしているけれども…。オジサンは、性よりも優先度が高いものが沢山あるから。それで子供のころから、子供の顔が好きなのでありましょう。何故か、分かるかな? 間に挟まっている物が、沢山あるのです。猫は、そんな三川ではなく、真理さんの方が好きなのだな。動かない、不似な生き物だから…。

 猫は顔の種類が少ないから、仕方なく三川の傍にいるのです。多様性の根っこが、弱くなってしまったから…。人よりも血統主義が進んでしまった結果であり、人との共存が第一義ではないのですが、そこを獣医できる存在は、少ないのが実情だから…。自分たちのために戦う三川を捨てないのだな。猫は、血統主義にも応じ、遺伝学的多様性にも応じてしまった生き物で、その時点で顔の種類に類して、食餌が弱くなってしまったのだな。

 私の前で、猫のコロは、餌を吐き出したことは、一度もなかったけれども。きっと毛を腸内で分解する細菌が、三川の腸とは共生関係なのでありましょう。私は猫の毛玉を、糞の中にも見たことがありません。グレムリンはそういう映画かもしれません。

 腸内細菌の叢ではなく、確かに、未発見バクテリアの個体種の確認は必要かもしれませんね。猫は三川との共生で、あまり良い思いはしていないから、そこで三川ではなく、真理さんに猫との共存細菌を持って欲しいのかもしれません。三川は戦うから嫌いなのかもしれません。

 私はO157の腸内保菌種、即ち共生種なのかもしれません。牛の怒りは、三川にダイレクトに来ます。ネズミの怒りも、きちんとお腹に来ます。

 

 私の性格が好きなわけではなく、三川の腸(はらわた)が気になる生き物が多く、神様である人の腸の中に同じものがあると嬉しく感じるのでしょうか? 三川は家畜の整腸効果に良いのかもしれませんね? 腸内共生菌が欲しければ、三川の故郷の星に旅して、暮らせば良いかも…。体臭が激減するかもしれません…。共生関係が減じて、なお「臭い」と言って人を虐める人は、完全矛盾なのですね。生まれ変わり以前の問題なのかもしれません。それが生まれながらである場合は、もう神様も逃げた後かもしれません。

 

 共生関係の確立は、星の死と転生に関係します。粗末にすると、罰が当たります。

 私は肉を止めてから、根本的な腸の病は減じてしまいました。

 星の死と運命を共にすることを学習した三川は、その保菌種が圧倒的に違うのかもしれません。

 

Sowing The Seeds Of Love

https://youtu.be/XEQKy8g5UK4

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 悪党は腸が腐る。その際の酷さは言語を絶するかもしれません。神様の共生以外にも、社会的でもある自分自身の自己管理も、きちんと学習する条件があるのかもしれません。悪自体が自分を救うことはありません。それは気のせいです。それを止めぬ人は、腸を持てなくなるでしょう。「悪いこともしないが良いこともしない」日本人が、世界でもっとも腸が長い。これも現実かもしれません。善悪ゲームは、ニュートラルも思考できるゲームに改造するべきです。要するに、中庸という概念は、発祥国のインドよりも、日本人の方が身体的に達成している現実があるのかもしれません。善悪二元論では、実際には、神の世界にはいけません。中庸、ないしは神学的ニュートラルを、体得しましょう。ちなみに地中海的中庸という概念は、カミュが提示した問題です。「身体性」が考慮されないと、善悪すら判断ができない。奴隷商人(子供誘拐)にはそれが心の病になっていく。気を付けましょう。

 

 では、またね。